名古屋E&J法律事務所ブログ

2016.06.09 木曜日

富めば好みてその徳を行う者なり。

私は寝る前に少しずつ史記(徳間文庫)を読んでいる。ちょっと読んではあっという間に眠くなる。

 
 紀元前500年ころ、越の重臣笵蠡(はんれい)は越で務めた後に野に下り、19年間に3度、千金の長者となった。笵蠡は陶朱公と名乗り、得られた利益で民衆を富ませ、徳を施していた(史記、貨殖列伝)。
 
 彼は、「富めば好みてその徳を行う者なり」(「富好行其徳者也」)の人であった。
 
 越の重臣笵蠡(はんれい)は越が会稽山の戦いで敗退した後、越王、勾践を助けた。越王が臥薪嘗胆の雪辱を果たしたのは笵蠡の功績が大きい。
 
 笵蠡は下野して、陶の国に移り、朱公を名乗った。当時、陶は物流の中心地であり、陶朱公は物資の取引によって成功しては貧しい人や縁者に分け与えていったのである。
 
 彼のポリシーは極めて現代的だ。つまり、物の値段が高くなりすぎると人々は困り、安くなりすぎると生産者である農民たちが苦しむ、物の値段が平準化するよう商いで調整すればよいと言う考えだ。
 
  乃治産積居、輿時逐而不責人。
  産を治めて積居(しきょ)し、時を逐いて、人に責めず。
  故善治生者、能擇而任時。
  故に善く生を治むる者は、よく人を択びて(えらびて)時に任ず。
 
  物資を得ては、時期を見計らって売却して、いたずらに人からしぼりとるようなまねをしない。
  つまり、事業で成功する者は、人を対象とせず、ただ時勢に乗ることをかんがえるのである。
 
  陶朱公はこうして巨万の富を得てきたのであり、しかも、その富で徳を積んでいった。そのため、後代の人々は富を得たものを陶朱公と呼ぶようになった。「陶朱の富」という言葉は彼から始まった。