名古屋E&J法律事務所ブログ

2016.07.15 金曜日

勝海舟、青柳の女将の心意気

  私は勝海舟が大好きだ。勝海舟晩年の随想を筆録した氷川清話も何度も読んだ。その中で、忘れられない部分がある。苦しいとき、悲しいときの乗り切る極意が書かれている。

 
 「八百松」の婆も非常なやり手であったが、「松源」の婆は、彼女に比べると、いまいっそうの手腕家であった。昔は、この種の人間に、よほど傑物があった。「青柳」のおかみなどもやはりその一人だ。もちろん高尚の教育などあろうはずはないが、実地に世間の甘い辛いをなめ尽くしてきただけあって、なかなかおもしろいところがある。
 
 あの婆などが世間に幅をきかせた時分には、おれはあれらの顧問官で、よくその人物を知っているが、彼らの人を鑑識する眼力といい、その交際のぐあいといい、とても今の政治家などの及ぶところでない。
 
 昔、おれが田安家へ往来していたころに、「青柳」は、近所だったから、いつもそこで昼飯を食った。
 
 ところが十二月二十九日のことであった。例のとおり昼じたくにいったところが、若い者どもは揃いの半纏で、女中どもと掃除するやら、餅を運ぶやら、いわゆる年越しの準備で、なかなかの景気にみえた。
 
 昼食の給仕には、いつも必ずかみさんか、娘かがでたが、この日は、かみさんは多忙であったものだから、娘がでてきて給仕をした。
 そこで、おれが娘に「家もなかなか景気がいいと見えるな」といったら、そのことを娘が帳場へいって伝えたとみえて、しぼらくするとかみさんがでてきて、いろいろと挨拶の末、
 
「殿様、ただいま娘に宅のようすのお話があったそうですが、殿様には、私どもの暮らし向きは、とてもおわかりになりますまい。殿様には、ちょっと景気がいいように見えましょうが、実のところを申せば、ただ今は金といって一文もありません。それがために亭主は、せっかく才覚〔やりくり〕に出かけておるのでございます。けれども大晦日のことですから、どこへまいっても、とても問に合う気づかいはありますまいと存じます。お見かけのところは、ほんの世間に対するていさいをつくろう義理ばかりで、よし金がなくて苦しくても、するだけのことはいたしておかないと、自然と人気(じんき)が落ちてまいりまして、終いにはお客さんが、ここのものはサカナまでが腐っているとおぼしめすようになってしまいます。ぜんたい、人気の呼吸と申しますものは、なかなかむつかしいもので、いかほど心の中では苦しくても、お客様方にはもちろん、家のうちの雇い人へでもその奥底をみせるといけなくなります。この苦痛を顔色にも出さず、じっと辛抱しておりますると、世の中は不思議なもので、いつか景気を回復するものでございます」
 
 といったが、その胸にある苦痛を少しも顔色にあらわさず、いかにも平気らしいようすをみて、おれもそのときは、ひどく感心した。
 
 全体、外交のかけひきといえば、なかなかむつかしくって、とても尋常の人ではできないように思っている人もあるが、つまりこのかみさんの呼吸のほかに何もあるものでない。ただ外交ばかりでなく、およそ人間窮達の消息も、つまりこの呼吸の中に存すると思うよ。
 
 おれはかみさんの話に感心したあまり、「お前、金が入用ならおれがあげよう」といった。するとかみさんは、たいへん喜んで「どうかなりますことなら、しばらく拝借を願いたい」といった。そこで、おれは紙入れの底をはろうて、三十両ほうりだしてやった。
 
 そうするとかみさんは「この三十両は、ただいまの私には確かに、三百両の価値がござりまする」といって、いただいて収めた。
 
 その後しばらくたって、また田安家からの帰途に、かの「青柳」に立ち寄ったところが、こんどは真実に一陽来復で、なかなかの好景気であった。
 
 そこでかみさんもいたく前日の礼をのべて「春になりましてから、二、三回も多人数の送別会などが続きまして、景気も大いに回復いたし、おかげで三、四百両も利益を得ました。これはまことにありがとうござりました」といって、前日貸した三十両の金を返した。
 
 おれはその金を突きもどして、「この金はお前にあげる。実は、この間のお前の話でおれもたいへんによい学問をした。お前は、なかなか感心なやつだ。ちゃんと胸の中に孫呉の奥義をそらんじ、人間窮達の大哲理を了解しているのだ。この金は、かような結構な学問をしたその月謝と思うて進上するから、取っておけ」といって、三十両をくれて帰ったことがあった。