2019.12.16 月曜日

豊橋発:たまには孔子はいかが。「啓発」

 中国語の手習いをしているせいか、最近孔子に関心が向いている。中国語の短い文章でたくさんのことを言うところは、実に漢字文化の特徴だ。

 自発的に勉強する意欲あるものに教育効果があるというようなところかな。つまり、意欲があって初めて教育が効果があると孔子は言っている。「啓発」とはここから生まれた言葉らしい。

子曰、不憤不啓。不悱不発。
挙一隅、不以三隅反、則不復也。

子曰わく、憤(ふん)せざれば啓(けい)せず。悱(ひ)せざれば発せず。
一隅を挙ぐるに、三隅を以て反さざれば、 則ち復(ふた)たびせざるなり

「憤」というのは、発憤ということだから、学びたくて意欲あるのに極められずいらいらする状態ということらしい。こういう状態がないと「啓せず」、つまり教えられない。

「悱」というのは言いたくも言葉が見つからず、言葉がでない状態らしい。このくらいでないと「発せず」、言葉を発して教えてやれないという意味かな。

 こんな難しい意味を、一文字、二文字で表現するところが「漢字」だ。韓国は漢字文化をなくしつつあるようだがもったいないことだ。何でも自分の名前すら漢字で書けない若者が多いらしい。

「隅」というのは四角の一角だが、一角を持ち上げれば、他の三角も持ち上げるという主体性のことを言っている。

「不則復」、ふたたびせざるというのはけっこうきつい言葉だ。主体性がなければ教えても甲斐がないと言われてしまっている。
 これを「主体性無いものは去れ」という意味にとるか、「主体性を引き出すところから始める」と解釈するかは、読む人の人間性にかかわる問題だ。

 社長は社員の能力を引き出さなければならないので、主体性を掘り起こすところから始めなければならない。私はそれは正しいと思うのだが、経済人でもあるので「大人相手にいつまでも子供教育のような対応はできない」という発想もあるので迷いは大きい。

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