名古屋E&J法律事務所ブログ

2016.05.16 月曜日

人を使う、将の将の極意

ドラッカーはアンドリュー・カーネギー墓碑銘を紹介している(「経営者の条件」)。
 
“Here lies a man who knew how to bring into his service men better than was himself”
「自分よりすぐれた者を集めるすべを知っていた者、ここに眠る。」 
 
紀元前200年、中国、漢の始祖、劉邦は「将の将」として君臨した。
劉邦は自分より優れた者を使いこなせた故に天下を統一した。
 
秦の暴政後、劉邦が項羽を破り、天下を統一した。天下統一に当たって、漢の将軍、韓信が大活躍したことは有名だ。韓信は自らの指揮能力を「数が多ければ多いほどよい」と言い、劉邦に対しては「十万の指揮がおできになるにすぎません。」と述べた。しかし、韓信は続けて、自分は「兵に将たる力しかありませんが、陛下は将に将たる力をお持ちです。(善く、将に将たり)」と答えている。
 
劉邦は自らは才能が無いが、才能あるものを使うことができるという。ライバル項羽は才能はあったが、才能あるものを使いこなせなかった。項羽には范増という優れた軍師がいたが、結局追い出してしまった。劉邦は項羽を評して范増さえ使いこなせなかったという。劉邦が天下をとれたのは、自らより優れた者を使いこなせる力がある点にある。
 
ところで、時代はさらに進むが。
紀元後800年、唐の時代。
 「韓愈」という人が、千里の馬にたとえて詩を書いている(雑説)。
 1日日千里走る名馬と言えども、その才を見抜き、千里の馬として育てなければ、駄馬にも劣るものになってしまう。千里の馬も伯楽に恵まれないと、奴隷の下でおめおめと辱めを受けてしまう。千里の馬はあるのだが、それを育てる伯楽がいないと、駄馬以下の扱いも受けるいう嘆きの歌だ。
 
 私はこれが正しいかどうか知らない。
 私などはいろいろなところで用いてもらいたいと思うことが多いのだが、中々、「千里馬常有 而伯楽不常有」かな。