2015.06.05 金曜日

豊橋発:戦後日本の中小企業政策

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三井逸友「中小企業政策と「中小企業憲章」」(花伝社)を読んでいる。著作では内外の研究成果が凝縮されて引用されているため非情に難解なものとなっている。もうちょっと読みやすくして欲しいものだ。

 
 中小企業とは不思議な存在だ。あるときは自由競争の単位として現れるし、あるときは保護政策の対象となったりする。古いままの前近代的な存在だったり、時代をリードする創造に満ちた存在だったりする。
 
 中小企業はある意味では資本主義の展開によって生まれてきた企業群だったりする。資本主義が高度化すれば中小企業の形態も、歴史的な位置付けも変化する。著者はこうした中小企業生まれてくるには歴史的な必然性があって、歴史的な役割があるはずだと考えている。
 
 中小企業の存在は歴史的にはいくつかの区切りに分けることができる。
① 戦前、戦時下の中小企業
② 戦後間もない頃の中小企業基本法制定、中小企業庁設置法制定のころ
③ 経済の二重構造の克服が必要とされた高度経済成長期
④ 高度経済成長期の終了及びグローバリゼーションの進展とともに始まった中小企業の役割の再検討時期
⑤ 1999年中小企業基本法改正以降
 
 ①についてはよく分からないが、家内工業的もので、製造業としての中小企業の発展はあまりないのかもしれない。②戦後間もない頃、財閥解体に対するオルタナティブな施策として中小企業重視の政策がとられた。その後、③高度経済成長時代にはいり、前近代的な中小企業を大企業の系列下に置くことで近代化を図ってきた時代となった。
 
 ともかく、①から③まではなんとなく想像がつくが、④、⑤はよく分からない。二重構造から脱却を図る中小企業といったところか。中小企業は適応力に優れ、創造性に満ちている。ベンチャー企業(和製英語らしい)こそ中小企業のエリートだという考えが政策の背後にある。
 
 しかし、著者は④、⑤の時代に提起された考え、中小企業をバラ色に描く考えに賛成していない。
 
 確かに中小企業は多様性に貢献する。そこには華やかなベンチャーばかりがあるのではない。自社を徐々に発展させ技術革新によって社会を前進させてきた企業もある。雇用を確保して従業員の幸福を実現しようとしている会社もある。単純に「起業」「ベンチャー」だけに眼を向けることは本質からずれていると指摘している。
 
 企業は自由であるべきだ。自由経済のもとでは中小企業といえども一つ立派な経済単位だ。しかし、規模の小さいところからうる従属性によって自由が阻害されることがある。著者はベンチャー礼賛、規制緩和の発想は中小企業の自由を奪うと考えているようだ。
 
 また、一方で三井さんは中小企業を「公共」的存在と位置付けているようだ。社会的分業があるとするならば、中小企業はそれなりの「公共」の一端を担っている。だから、中小企業保護施策は必要であると考えているのではなかろうか。著者自身は中小企業政策を単なる弱者保護政策とは見ていない。公共と位置付けることで福祉的な位置づけではない積極性を持たせているようにも見える。