2015.07.07 火曜日

豊橋発 経済の二重構造

 戦後の中小企業政策は中小企業庁設置法(1948年)、中小企業団体組織法(1957年、)中小企業基本法(1963年)から始まる。
 
 戦後間もない頃の数年間はGHQにより財閥解体政策が進められた。一方で、経済の民主化というようなことも語られ、寡占経済に対するオルタナティブな政策として中小企業政策が勧められた。
 
 その後、「産業構造の高度化」「中小企業の近代化」といった政策が本格化していくことになる。昭和35年経済白書では「経済の二重構造」という言葉使われていた。
 
 昭和35年経済白書は「生産性の低い農業や中小企業の近代化をすすめていくことこそ、わが国経済の成長力を高く維持する所以であり、それが同時に経済の二重構造を解消させる道にも通じるのである。」と報告している。
 
 この二重構造といのは、近代的な大企業と前近代的な小企業が併存する状態を示しており、大企業は前近代的な小企業を系列化し、牽引して小企業の近代化を図っていくという考え方だ。日本の政策は重化学工業を重視するとともに、大企業を中心にして日本の産業構造を組み立てていくという内容であった。
 
 経済の二重構造は大企業は進んでいて、中小企業は遅れている、系列下を通じて中小企業の近代化は図られたとか、あるいは大企業は系列下を通じて中小企業を支配して中小企業から搾取しているといった議論をよく聞く。確かに経済の二重構造をめぐっては多くの議論が存在する。
 
 しかし、私の立場は中小企業にはその時代、その状況下で役割を持っていたというものだ。系列下で過酷な条件を突きつけられていたかもしれないが、大企業も中小企業なしでは存続できない状態ではあったのではなかろうか。
 
 大手メーカーの過酷な要求に応えつつ、自社の実績を伸ばしてきた企業は存在する。とこうした企業の実態を見れば、高度経済成長期の中小企業と大企業との関係は否定的な視点ばかりで見る必要はないと思う。
 
 D.フリードマンは著書「誤解された日本の奇跡」中で、「日本の多数の中小企業は、フレキシブル生産戦略を採用することによって、大企業への永続的依存と技術的劣位を免れたのである」とした。つまり、大企業の政策に応じ、国際的な経済にも柔軟に順応した中小企業の高い能力が日本経済の勝利を生んだということらしい。
 
 三井先生はこのような手放しの日本中小企業礼賛には慎重だが、私はけっこうそういう面があるのだと思っている。二重構造だと行っても、むやみに中小企業が「遅れた存在」と見る必要もないし、常に大企業に従属してきた存在と見る必要もないと思っている。
 
 ともかくも二重構造の評価は中小企業をどのように見るかを決めるような重要な論点だと思う。繰り返しになるが、私の立場は系列であろうとなんだろうと、中小企業は生まれるべくして生まれ、生き残るべくして生き残っている存在である以上、単純に前近代的なかわいそうな存在と見るのは誤りだという立場だ。むしろ、中小企業は存在する必然性があって、社会的役割を果たし、大企業に対しても自律的な部分のあったのではないかと思う。

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