2016.01.18 月曜日

豊橋発:アビリーン(Abilene)の逆説

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 ある八月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。(Wikiより)


 誰もが自分ではいやだと思っているのに、集団はその決定をしてしまうような場合がある。みんな「事なかれ主義」で、集団に遠慮しているために、集団の誰もが望まない決定を集団が決定してしまうことある。

 どこかに旅行に行こうという議題が出て、思いつかないために誰かが熱意はないがともかくアビリーンに旅行に行こうと提案する。外の人たちはみんなはアビリーンに旅行に行きたがっているに違いない、私は反対だがみんなの意見を尊重しようと考える。その結果、誰も意見を言わないものだからそれに決定してしまうのだ。

 こういうのをアビリーンの逆説(Abilene Paradox)という。経営学者ジェリー・B・ハーヴェイ (Jerry B. Harvey) が著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』The Abilene Paradox and other Meditations on Managementで提示したものである。

 アビリーンのパラドクスは「事なかれ主義」の持つ危険性をよく示している。さらに言うなら、集団の持つ「成熟性」とは何かをよく示している。成熟した集団であれば、「アビリーンに旅行に行こう。」という提案に対して、いくつかの意見が出されたであろう。

成熟した集団であれば・・・・
① 個人の意見が表明されるであろう。
② 個人の意見は望ましい程度に集団から独立した客観性を持っているだろう。
③ 個人の意見は問題点の指摘にもかかわらず建設的である。それは、集団がその集団の使命や目標、最終的価値について基本的な合意ができているからである。
④ 個人の意見は集団構成員に対する役割の尊重、敬意をはらったものになるだろう。
⑤ 集団は様々な意見を集約し、意思決定のプロセスを持っているだろう。
⑥ 集団は経験から導き出される教訓や新しい情報を収集、消化できる能力を持っており、それに基づいた決定を行うことができるだろう。

 これは一種の企業文化の問題である。この文化をいかに作るかについては、すぐれて心理学的な側面がある。企業家たるもの、こうした社内文化の創造について専門的に学ぶ必要がある。