2016.03.01 火曜日

豊橋発:「地位の量」人間関係をとらえるには

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シャインは発達心理学を企業内の人間関係に応用した。シャインの教科書には有益な内容が多い。

 
 こんな文章はどのように理解したらいいだろうか。
「相互関係における人間の価値は、任意のある人が主張する地位の量であると考えることができる。」(「プロセス・コンサルテーション」151頁)
 
 この「地位の量」というのは英語ではどのように言っているか分からないが、なかなか意味深だ。
 
 私達は生まれた時から多くの人間関係を築いている。その交流の中で、場面場面に応じて適正な振る舞い、態度、関係というものを理解していく。その時に相手に対する敬意、自分に価値に対する尊敬、まさしく地位の量に応じた適正な取り扱いが求められていく。
 
 「地位の量」というのは、「制度上の条件、公式的な地位システム、特定の役割内でのその人の同期などによって決まる。」。シャインの教科書の訳者は、この「地位の量」というのを「面目」という言葉で表現している部分もある。
 
 例えば、社長である私が言葉を伝えた時に社員が聞いていなかったら腹を立てるだろう。それは社長という会社制度や会社の実際の活動中で認められた地位にふさわしい敬意が払われていない点に腹を立てる。
 
 つまり、その社長には集団内で認められた「地位の量」というのがあって、その量にふさわしい敬意が払わなければ不適切な関係となってしまう。そして、極端な場合は人との関係は崩れてしまう。
 
 これは職場内の上司と部下との関係でも同じだ。社内で上司としてふさわしい地位が与えられ、経験も積んでいけば、そのグループ内で上司は上司でとしての権威を獲得していく。つまり「価値の量」「地位の量」が生じる。
 
 部下にも当然「地位の量」がある。上司が部下に対して「価値の量」にふさわしい取り扱いをしなければ、部下は不満を持ち、人間関係はうまくいかないだろう。部下どうしの関係でも同様だ。お互いにお互いの立場にふさわしい扱いがなければ人間関係はうまくいかないだろう。
 
 このように「地位の量」の考えは、「人間関係の礼儀、正しさ、機転、落ち着き、敬意、物腰、屈辱、当惑、面目を保つ、失う」と言ったものを定量化、あるいは客観化しようという試みである。
 
 さらに、シャインの分析は展開する。こうした「地位の量」は職場内で客観された役割、職場内で期待された役割、本人が主観的に求めている役割といった具合に分類されて計られていく。
 
 ここのところが、おそるべし、アメリカ経済学という感じだ。人間関係というあいまいで、時に変動し、突発的な課題を「量」として客観化しするばかりでなく、現場での応用を計っている。
 
 さらに、シャインは続く。
 人間関係には「ドラマ」のようなところがあるという。ある者は職場でのリーダーとしての役割を担い、リーダーは集団のイニシアティブを発揮する際に、集団内ではふさわしい役割を演じ、部下たちは時に観客となって反応する。逆もある。役割、観客がいれかわり交替し、社会というドラマが演じられていく。
 
 観客たちは訳者の果たしている役者にふさわしい反応が求められるだろうし、そのような反応することが役どころとなる。リーダーが一生懸命やっているのに観客が無視したり、役どころが持っている「地位の量」にふさわしい尊重をしなければ怒りや屈辱がもたらされることになる。
 
 ある職場で、猛烈なリーダーシップをとっている上司が実際には本来求められる「地位の量」を超えて振る舞い、独裁的であった場合はどうだろうか。社長はこの上司を傲慢だと思い、部下もついていけないと思うだろう。そのとき、職場という「ドラマ」の中の各役者たちにふさわしい役、「地位の量」を考慮して振る舞うことが求められる。
 
 明快な意見を言うことは求められる。しかし、一方で相手に対する敬意も必要だ。職場の自由な雰囲気も必要だろう。リーダーはリーダーシップを発揮し、部下たちを率いていかなければならない。その時に、その職場のデザインが見直され、職場での役どころの「地位の量」が考慮され、立ち振る舞いの「礼儀」「しつけ」といった問題が整理されることになるだろう。
 
 特に、職場をプロデュースする社長、管理職はこの職場全体のシナリオと演出が必要だ。各自が面目を保てるようにしなければならない。一方で、各自がその職場の慣例として求められる量の枠内に収まっているかも考えなければならない。役割を発揮していない部下がいれば、その部下の意見に焦点をあてつつ、徐々に権威をつけていくことも必要だろう。
 
  シャインの展開はこれだけではない。アメリカ流経営学が科学を志向し、人間関係にも科学を持ち込んでいる好例と言える。